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環境新聞  連載記事

2019年3月~ 毎月第一水曜日

11.5.2019

環境新聞

第二次大戦・木の無い景色

東京では1930年頃関東大震災の復興事業を終え、街路樹は10万本を超える。しかし日本は「好戦国家」となって最悪の戦争に突入する。開戦翌年から東京には空襲があり、終戦前は毎日のように襲われ、3月10日には下町が壊滅する大空襲を受ける。戦災は震災の3倍以上で、街路樹は3万本に減る。ゆえに戦前からの街路樹は貴重だ。戦中戦後の図像に樹木を見出すことはできない。樹木は平和の象徴だ。

10.1.2019

環境新聞

震災復興道路を飾る四列並木

関東大震災後の復興事業では、立派に街路樹が植えられた。44m以上の道路には4列並木となった。橋詰広場や街路広場にも樹木が植えられた。道路の主役は樹木だった。

​しかしそれらのほとんどは失われた。道路通行のために取り除かれたのだ。

9.3.2019

環境新聞

帝都復興・「愛樹心」を喚起する

関東大震災後、東京都心は生まれ変わった。後藤新平によって、当時の国家予算の3分の1を費やし、7年間で区画整理、幹線道路、公園、橋、小学校、市場などが出来た。

街路樹も重視され、東京市は「愛樹心」を喚起して街路樹のへの理解を促した。現在より樹木を大事にする姿勢がわかる。

7.30.2019

環境新聞

戦間期の災い・帝都東京焦土と化す

明治維新以降、西洋を導入した東京は「東洋一の大都市」を自負する。

所が1923年9月1日関東大震災が襲う。揺れと建物崩落、その後の大火災で、東京の44%が焼け、10万人以上が亡くなりました。

東京の街路樹は2万4千本以上ありましたが、6割失いました。しかし街路樹は多くの人の命を助けました。震災後は防災のために街路樹が重視されます。樹木は災害の時代の救い主です。

7.2.2019

環境新聞

街路樹ものがたり⑤ 香港史を体現する木・石壁古樹

香港島の古い地域にある「石壁古樹」は石垣から伸びる大木で、街中の生きる芸術だ。同時に香港の歴史と自然を映す存在だ。約1200本あるが、開発や気候変化で危機に瀕している。住民や研究者や保護団体などが対策を求めている。

6.4.2019

環境新聞

街路樹ものがたり④ 近代樹木と都市民の対話

近代の都市計画として「東京市区改正設計」が明治36(1908)年に決まる。街路樹もイチョウやトウカエデなど10種が選ばれ、現在ある街路樹種にその影響が見いだせる。日本の風土に合うのは松や杉だが、この時は大胆に西洋の種を採用した。

5.7.2019

環境新聞

街路樹ものがたり③ モダン都市東京・文明開化の道路樹木

江戸から明治になり、あらゆるものと共に街路樹も変わった。街道並木は無くなり、街中に樹木が植えられた。西洋に倣い、近代都市の体裁として道路樹木が取り入れられたのだ。「望ましい樹種」として西洋の樹木も導入された。今東京に多くあるイチョウやプラタナスはこの時のチョイスによる。

近代化を象徴する人物の一人、津田梅子の父は植物学者の津田仙だ。彼が初めて東京市に植えた西洋種のニセアカシアを記念する石碑が大手町にある。その傍らにニセアカシアの根があるのに、東京都は駆逐しようとしている。

4.2.2019

環境新聞

街路樹ものがたり② 並木道のはじまりと役割

街路樹の最古とされるのは、紀元前10数世紀の古代エジプトの皇帝や貴族の邸宅庭園だそうだ。アジアにも南アジアや中国に大規模な道路と並木が設けられた。日本には8世紀奈良の平城京に唐の長安を模して並木が植えられた。その後江戸時代まで街道には樹木が植えられた。しかし明治期になると、西洋の街路樹は導入したものの、伝統的街道並木は無くしてしまった。現在に街路樹もこの考え方の延長上にあり、自動車中心の道路の歩道との隙間に1列に植える消極的なものだ。しかし現代の燃焼社会には救世主といえる存在だ。

3.5.2019

環境新聞

街路樹ものがたり① 都市の環境を守る古くて新しい主役

街路樹は都市の環境を守る主役なのに、大事にされていない。道路の「安全」のために伐られたり、地下開発のために取り除かれたりする。しかし樹木を求める気持ちは都市民に強まっているように感じる。現代的ストレス社会に癒しをもたらすからだ。動植物と人間が共生することが正常な環境に他ならない。

10.16.2018

環境新聞

街路樹の危機:2020年に向けて壊される東京の環境

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、東京のあちこちで一気に道路、地下鉄、ビルの工事が行われている。そこで犠牲になっているのが多くの樹木だ。1960年代のオリンピック時も、第二次大戦時に匹敵するほどの樹木伐採が行われたのだ。オリンピックには破壊が伴う。千代田区で計画された300本の街路樹の伐採もまたこの背景からきた。なんと千代田区は「環境モデル都市」に指定されているのだ。街路樹は環境を守る生きるインフラだ。街路樹を通して様々な現状がみえてくる。管理者の独断で無くしてはならない。

建築ジャーナル  情報ポスト

2017年10月~ 隔月

12.31.2017

建築ジャーナル

街路樹は歴史、街路樹は記憶(「木を伐るな」特集)

千代田の街路樹問題は区内の3本の道路で計300本の街路樹を伐ろうというものだ。

​「神田警察通り」「白山通り」「明大通り」の歴史を調べると、近代高等教育の発祥の地であり、日本の近代国家を支える知識醸成の土地であることがわかる。その歴史が神田地域を作っており、街路樹のある通りの風景は近代日本の風景である。近視眼的開発のために伐っていい樹木ではない。

5.31.2019

建築ジャーナル

古書店街の無電柱化

2016年夏、東京都建設局もまた千代田区内で街路樹を伐る計画をたて、実行してしまった。都道白山通りが2020年オリンピックのマラソンコースになることから、無電柱化するためにイチョウの街路樹を4割程伐採するというのだ。片側24本は伐られてしまった。元気な樹木がクレーンのアームで無残に引き抜かれた。そのアームが一般都民の心も引き裂いているのがわからないのだろうか?私たちは東京都議会に陳情を出すことにした。就任まもない小池都知事に大いに期待して。

3.31.2019

建築ジャーナル

皇居外周の街路樹とユリノキ事件

皇居一周マラソンで知られる1周5キロの皇居外周は、街路樹の名所だ。様々な樹木と景色と建物、さらに歴史も楽しむことができる。松、シダレヤナギ、エンジュ、イチョウ、桜、ユリノキなどが途切れずに植わっている。

​2016年春に事件が起こった。半蔵門そばの立派なユリノキの高木3本が突然腰の高さに伐採された。それは美しく構築された皇居濠の風景を破壊した。管理者である国交省が、工事をする東京都下水道局に伐採許可を出し、施工会社がすぐに伐ってしまったのだ。それは健康な樹木だったのに。両方の役所には、木の命や風景やマラソンランナーを守る緑陰への配慮がなかったのだ。

1.31.2019

建築ジャーナル

陳情審査:街路樹が地方行政を明るみに出す

2016年10月17日、母校横のイチョウ並木保護を願う陳情が、千代田区議会で採択された。それに至る区議会での議論で多くのことがわかった。驚くことが多かった。例えば私たちの並木はこれまで地元の協議会で保存することが確認されていたのに、道路工事の計画を進めていく途中で、駐車帯云々を検討する際に伐採することになったという。議員が調べてもそれを誰がいつ決めたのかはわからなかった。最も大事なことが隠されたまま、地方行政は進むのだ。他方、並木を守るためのネット署名は4万人達した。

9.30.2018

建築ジャーナル

街路樹の再生力:エンジュのひこばえは希望

内堀通り(東京都管理)、皇居沿いの並木道にはエンジュの木が植わっている。2017年夏に7本のエンジュが伐採対象となった。筆者と管理者は半日がかりで対象木を見て回り、樹木医の助言のもと、伐採ではない新たな措置を採ることとなった。ガンシュ病に侵された患部を切除して、新たなひこばえが伸びるかどうかを観察するのだ。約1年経って、措置した全てからひこばえが伸びた。街路樹が病気になっても伐採伐根せずにすむ希望のエンジュとなった。

7.31.2018

建築ジャーナル

街路樹はネットワーク:樹木のもつ無言にして強力なつながる力に倣って

2016年7月から母校横のイチョウ並木を守るために、私たちは手探りの活動を始めた。区議会に陳情を出し、署名を集め始めた。木守りの先達の元にも訪ねた。「千代田の街路樹を守る会」をつくり、HPを開設した。仲間の発案でネット署名を立ち上げ、FBに載せると、驚くべき状況となり、数日で3万人以上の署名が集まった。続いてテレビや新聞が問題を取り上げてくれて、私たちの取り組みは全国に知られることとなった。

5.31.2018

建築ジャーナル

街路樹は誰のものか?

永代通り(東京都管理、中央区)は江戸城大手門から隅田川に至る、都心を貫く歴史的な大通りだ。プラタナス並木は壮麗な風景を作っている。しかし都心であるがために、ビル建築も多く、そのたびに街路樹が減っていく。ビルは立派になっていくが、街路樹はバラバラに所々小さくなる。江戸橋交差点そばのプラタナスを巡って、メトロ、建設会社、ビル所有会社と話合いをした。紆余曲折の末、プラタナスはどこかに移植されたが、最後まで街路樹は誰のものか?と問い続ける必要があった。

3.31.2018

建築ジャーナル

プラタナスの受難 無理な経緯 理不尽な撤去

千代田区神田警察通り、保存が決定したイチョウに並んでプラタナスが5本植わっている。プラタナスがあっても道路改修は可能だ。

陳情審査されたものの、移植が決まる。2018年2月のある夜、枝と根が切られて移植が行われた。

1.31.2018

建築ジャーナル

旧白山通り・東洋大前のイチョウを助く

文京区、旧中山道・旧白山通り(国交省管理)のイチョウの大木が、電線地中化工事のために伐採対象となった。しかし危機一髪、樹木は守られることになり、イチョウはそのまま、ハナミズキは丁寧な移植がされた。

11.30.2017

建築ジャーナル

街路樹民主主義の第一歩は陳情から

千代田区神田警察通り、母校の横に並ぶ32本の100年のイチョウを守るため、2016年8月、千代田区議会に陳情する。街路樹は市民権そのもので、街路樹の保護は民主主義といえるだろう。

9.30.2017

建築ジャーナル

街路樹はいのち、街路樹はめぐみ

街路樹保護活動の始まり。2016年7月25日の夜、母校の横に並ぶ32本のイチョウの大木が伐採されそうになっていた。私は伐採直前に現場を通りかかり、工事中止を願い出た。翌日以降、議会も知らない伐採であったことが判明。街路樹保護活動を母校の同窓生たちと始める。街路樹の素晴らしさを改めて痛感する。

かがり火

8.24.2018

かがり火

街路樹はヒューマニズム:イチョウ並木の再発見は人間性の発見

​母校横のイチョウ並木の伐採現場に遭遇したことで、私たちは並木を再発見した。32本のイチョウを守るための活動を通して、母校の同窓生や恩師と再会し、多くの報道機関と出会い、木々を管理する行政機関と相対することとなった。結果的に木々が私たちに人間や動植物や環境や社会のことを深く教えてくれた。また私は自分自身の過去や現在を再認識する事にもなった。

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